夜ふかし録

クラリネットの条件検討

心のリハビリ(5)

過去の自分の書きさしで、これはこの時期にしか書けない心象だった。
パブリックな価値はまったくないのだが、ブログに残しておく。
それに、自分と同様、死別を経験した人には、もしかしたら何かの役に立つのかもしれない。
実際、自分が彼女との死別後に打ちひしがれていた頃、ブログやツイッター、図書で出会った同じ「死別後を過ごした人々の記録」というのはほかに代えのきかない助けになったから。
なお、シリーズの(5)はほかにすでにあるので、実際はこれは(6)になると思われる。

 

正直な今の感じ方ー心のリハビリ(5)
 
リハビリrehabilitationとは「復元する」という意味のラテン語が元になっていると整形外科の先生が言っていた。元には戻ることができないけれど、愛する人を失ったことで背負う「悲哀のプロセス」というものは、その悲しみを日常のなかで悲しむことができるようになるまでの段階的なプロセスなのだと今の自分は捉えている。
 
彼女が亡くなったその原因について。
事故なのか自殺なのかの決定的な証拠は今のところ、ない。その前日に試験の不合格がわかって沈み込んでいたことと、なぜ駅にいたのかその理由がはっきりしないこと、その二点から常識的に考えると自殺と捉えることが自然のようにも思われる。僕も、そう信じたくはないのだが、それを認めざるを得ない。
ただ自分は彼女ともっとも近く親しく関わっていた者として、とても自殺とは信じられないいくつもの思い出がある。
(2012/12/26に記載されている)