夜ふかし録

クラリネットの条件検討

井上道義/都響のラストラン

ベートーヴェン/交響曲第6番

ショスタコーヴィチ/交響曲第6番

 

東京文化会館のミッドセンチュリーな音響で田園がどのように聴こえるのか?

文化会館はソリッドな 響きで、ふわんと余韻を残すわけではなく、ステージ上の出来事がそのまま客席に届けられるような印象がある。鮮やかなものはより鮮やかになるが、一方で陰影の階調を豊かにしてくれるような効果は薄く、奏者の技量がないと大変だろうと思う。

 

前半田園は8型の室内オーケストラ編成での演奏。

道義さんで室内オーケストラ編成といえばOEKを思い出してしまう。

むかし金沢で聴いた道義さんのベートーヴェンは規律正しい演奏だったので、今回もそうなるかと思えばそうではなく、つくりはけっこう個性的だったように思う。

 

5楽章冒頭の嵐を抜けたところで山場を迎える曲なのだが、その場所を重視するわけではなく、曲の最終盤のやや地味な場所を大切にしていたように思う。その箇所は、少しだけ第九の三楽章のような印象を受けた。

プログラムの前半ということも考慮された曲づくりだったのだろうか?

 

モダン建築である東京文化会館で照明を落とし、本来大編成のオーケストラである都響をあえて小編成にして、古典とロマンのあいだにある田園をソリッドな響きでつくる。という状況認識をすると、この演奏の経験はより面白いのではないかな、と思った。

トランペットやピッコロ、打楽器が途中入場してきたことからも、「ぜったいにふつうのベートーヴェンはやらない」という意思を感じた。

 

ショスタコーヴィチは、それこそうまい都響がソリッドな文化会館でメリハリの効いた(それでいて言い切らないところもある)道義さんの指揮で演奏されればもう当然良い演奏になるよね、という感じでした。