今まではどちらかというと、息の量ではなくアンブシュアとイメージ(息の通り道への気遣い)によって遠鳴りする音をつくるべきと考えていた。
かつて自分がクラリネットを教えてもらった吹奏楽部では、「息をとにかく吹き込むこと、それによって鳴りが得られる」といういささか体育会的な考え方で先輩から後輩へ指導されており、自分も高校卒業までその考え方に乗っていた。
その結果やや重い吹き方になったが、大学入学でオーケストラに乗るようになると、そういう吹き方ではあまりうまくいかず、周囲からの評判も芳しくない。無駄が多くてエレガントでないためだと思われた。そこで、プロのオーケストラ奏者に弟子入りし、基本的な奏法を学んだ。そこで強調されたのは、(しっかり息を入れることも大切であるが)息を集中させて遠くへ飛ばすイメージをもつことと、それを実現するためのいくつかのポイント(アンブシュアなど)
だったのだ。
で、ある程度はそれを身につけることができた。息は量ではないと思うようになった。
しかし先日、かつての高校時代の先輩に楽器を吹かせてもらい、また彼に楽器を吹いてもらったところ、圧倒的に自分の楽器の鳴りが悪いことに気づいた。それは楽器の問題ではなく、日頃の使い手である自分の問題だろう。
息の量によって音が変わるのだ、と再発見した気持ちだ。
感覚の話なので表現しづらいが、音の広がりが変わり、しっかりと息を入れて吹く習慣によって、楽器のある種のキャパシティが大きくなる印象もあった。
また、音程感にも影響する気がしている。(特に、強奏で)
遠達させるイメージももちろん大事で、さらにしっかりと息を入れて広がりをもたせることで、表現はもっと豊かになるのだろう。
勉強になった。