夜ふかし録

クラリネットの条件検討

琥珀色の舞台への憧れ

舞台と舞台裏というものへの一種の憧れを自覚したのは、比較的最近のことだ。

かつて―行きたくもないピアノの稽古が、嫌で嫌で仕方がなかった頃でさえ、発表会の会場にただよう、少し浮かれたようなハリのある雰囲気は嫌いではなかった。

 

舞台芸術は素晴らしい。本来まったく腹の足しにならないことにみんな喜んでお金を払って、演者も自分の仕事に自信をもったまま舞台を降りる、そんな舞台なら。

でも、何度も舞台を踏むなかで全てが名演ということは有り得ず、ときどきは消え去りたくなるような失敗に沈むだろう。それでも自分の仕事において必死に一定のクオリティを保ち、弟子や観客から尊敬と羨望を受け、また新たな本番に臨む、そんな舞台という仕事場。

 

華やかな演奏会当日とは打って変わって、稽古の日の舞台はひんやりとしている。客席は暗く、舞台上の物音がこだまするばかり。稽古をする者はそんな冷めた舞台で黙々と、できれば誰にも―同業者にも聴かれたくないような地道で必死の練習を重ねるのだ。

 自分の演奏は自分自身から吐出されたものに違いないが、自分自身そのものではない。そのズレに戸惑ったり、もどかしく感じられたり、悩んだりしながら。

 

孤独な作業に耐えて、自分の道を切り開いた人だけが、舞台の上でスポットライトに照らされる。あるいは無二の才能を持った人でも、積んできた努力や犠牲に見合うような、他の人が望むであろうような世俗的な報酬を掴むことはないのかもしれない。

それでもその役者は、そのすべての過程を経て、彼自身になったのだと思う。

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