夜ふかし録

夜がふかまると目が冴えてくる

このブログについて

過ぎていく日々の備忘録です。

クラリネットのことや、仕事をするうちに気づいたことなどをメモ書き程度に残しています。自分のための備忘録であるほか、他の人は同じことについてどう思うのか気になるため、ネットに公開することで少し反応を期待してもいます。

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死別から6年目

  「あの日」から5年間が経ったということ。「あの日」というような書き方をすること自体、当初の自分にはとても抵抗があったのではないだろうか。「あの」なんて、距離をおいてみることなんてできない。距離をおいたら、彼女がもういないことを認めてしまうことになると思った。それくらい、受け入れがたいことだった。だいぶ遠いところに来たのだと思う。金沢から東京へ戻ったこと、学生から社会人になったこと。そして時間が経ったこと。

ずいぶん自分は平気になったと思うが、あの日のこと、「あの日」で年を重ねなくなってしまったあの人のことを思い出すと、やはりさびしい。

 

でも何はともあれ、5年が経って、自分は幾分か平気になって、仕事に追われているのだ。

今の自分にできることをやっていこうと思いますよ。

 

首席奏者のマウスピース遍歴

池袋の淳久堂書店に行ってみたら、パイパーズの記事が目を引いた。「三界秀実のマウスピース遍歴」

 

 三界秀実さんは東京都交響楽団の首席奏者で、仕掛けにすごく凝っていることは比較的有名だと思う。楽器は長いことSelmerだったはずだけど、最近のSelmerのカタログからは先生の写真が消えていたので、バックーンに完全に乗り換えたのかな?と思っていたら、記事によると本当にそうらしい。

 Vandoren、Selmer、Backunだけでなく、その時々で色々なものを試行錯誤されていて、遍歴というよりは研究の道筋といえそうだ。

 やはりVandoren B40はゴールドスタンダードというか、避けて通れないマウスピースのようだ。それをいったら5RV Lyreもそうだろうけど、B40でできることを実現しながら、B40の不便なところ、欠点をどれだけ減らせるか?というのは現代日本のクラ吹きのテーマのひとつなのかも?

 

 自分はB40にはtraditional 3〜31/2、V.12 31/2くらいがちょうどよい。

 

M15もお気に入りのマウスピースのひとつだそうで、これは少し意外ではある。M15はあまり普及していないマウスピースだと思うので。自分はまだほとんどB40しか使ったことがなかった大学1年のとき(2009年)に、金沢のふるーい楽器屋さんにあったM15を試奏して、勇み足で購入した。tip openingの広いB40から、逆にtip openingの狭いM15にして、何がどう変わるのか見てみようと思ったのだった。

 合うリードの固さは当然変わったけど、M15はM15でそれなりに吹きやすくて、マウスピースの外箱に「カラフルな音色」みたいなことが書いてあって、たしかにそうかも?と思ったのを覚えている。だがそのときはまだ、奏法もしっかりしておらず、結局使い慣れたB40をメインに使い続けた。

 

 2013年だったか、チャイコフスキーの悲愴で1stを吹いた時、B40よりももっと奥ゆかしい音が欲しくなって、あと発音でラクをしたくて、M15を久々に引っ張り出した。これはけっこうハマって、本番もうまくいった記憶がある。録音を聞くと、自分で思っていたより音色が浮き出ていて、意外と遠鳴りするマウスピースなのかも、と思った。

 

私はM15の真価はまだ評価しきれていない。

騎士団長殺し

読みました。もともと村上春樹は好きで、特に『ねじまき鳥クロニクル』は村上春樹を好きでない人も読んでおいていい作品だと思っています。

 

2000年以降の作品については、『海辺のカフカ』『アフターダーク』はよかったが、『1Q84』は???というのが率直な感想。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』はよかった。

今作は自分にとってはよい作品だった。

よかった点;

  • 絵描きの話という着眼点:絵を描くことは観ることとよく言われる。人がものや他の人を見るということについて繰り返し述べられていると思う。また、絵を描くことは自分にとっては身近なことではないので、油彩の具体的な描写は非日常感があり、新鮮だった。
  • プロットが良心的:これは人によって意見が分かれると思う。今までの村上春樹の長編と違うのは、主人公がけっこう救済されているらしいところか。『ねじ巻まき鳥』と比べると、明らかに『騎士団長殺し』の主人公のほうが物語の終盤で救われているのでは?いや、『ねじまき鳥』もけっこう救われてるか…。『ねじまき鳥』以降定番の道具立てとなっている「穴ぬけ」のエピソードも、もはやはいはいという感じで受け入れられるので、このあたりの作品を読んだことのある人には了解可能性がある(あるいは免疫がある)のではないかと思う。めちゃくちゃ新しいことはしていない、とも言えて、その点では奇抜さとかラディカルさを求める人には物足りないかも?(『1Q84』の月が2つある世界だとか、「まざ」「どうた」みたいなものは出てこない。まぁ、「騎士団長」は奇抜ではあるけど、受け入れやすいと思う。)この視点で逆に『1Q84』を読み直してみようかと思う。
  • ドラえもんみたいなやつを出してくるのはズルい:「騎士団長」はドラえもんとか、『寄生獣』における「ミギー」みたいな登場人物に思えた。そういうのを今更出してくるのはどうなの、と正直思う。もっと深く読み込めば、ただのドラえもんではないのだと思うけど…
  • 帰ってきた「鼠」:「雨田政彦」という登場人物は、初期作品における「鼠」が、自殺せずに済んだパターンの表現なのではないか?と思った。主人公の直接の父親ではなく、友人である「雨田政彦」とその父との関係が出てくる。そして雨田政彦は父親とぶつかるというよりは、うまく受け流して生きてこれた人であり、その点が「鼠」と違う。
  • 13歳女子に対する視線が気持ち悪い:これは正直気持ち悪いと思う。13歳女子が相手ではないけど、性的描写は本当にあれだけ必要なのだろうか?とも思う。ためしに、性的描写なしバージョンを読んでみたい。(たしかに印象は変わるだろうな…説得力も)

 

次作も楽しみに待ちたい。次作は、問題提起をしてほしいなと思う。

楽器のオーバーホール

2月のことだけど、楽器をオーボーホールした。主治医は都内某所の工房。

 

自分の楽器は2009年3月に購入したBuffet CramponのRC prestigeとRCで、今年で9年目になる。RC(A管)は現在、人に貸していて手元にない。友人の結婚式が3月にあり、それを控えて、久しく調整に出していなかった楽器をメンテナンスしようと楽器屋に持ち込んだのがきっかけだった。

 

 当初の見立てでは、古くなったタンポの交換やキィバランスの調整程度で、まぁ1万円程度で、その場で1時間程度で終わるだろう(外来受診で済む)と考えていたのだが、購入店でもあった最初の楽器屋で「オーバーホールが必要で、5万円くらいかかる」と言われてしまった。「またまた…」というのが感想で、でも確かに買ってから時間もたち、それまで細々とした調整はしていたものの、直近2年くらい調整に出していなかったから、そう言われると不安になった。

 楽器屋さんというのはけっこう気まぐれでオーバーホールを持ちかけてくることがあると思っている。また、オーバーホールはすればいいというものではなく、やると性格が全く変わることもある、大きな修理だ。だから、まずその判断が妥当か、そして、妥当であるとしてもそれをそこに任せていいか、という2つの問題がある。

 

 そのお店は購入した店であり、信用はおけたが、数万円のお金をかけて行うことなので、別のリペアマンの意見も聞きたかったので、2軒目に持ち込んだ。金沢にいた頃に師事していた先生から紹介されたことのある、個人工房。そこに楽器を持っていって、ケースを開けた瞬間に「これはオーバーホールですね」と言われた。どこでそれを判断したのか今でも不思議だけど、なんとなく説得力があったのと、何しろセカンドオピニオンも陽性だったから、もうオーバーホールしよう、と思った。当然、入院治療だ。オーバーホールだから、ICU入室みたいなものだと思った。演奏の感覚が変わる不安はあったが、任せるならその工房以上のところはないと思ったので、その店に任せた(リペアの技量の点で信用できるし、それ以上に先生から紹介された店という意味で自分を納得させる物語があった。医療でもたぶんそうだけど、物語は大事)。

 

 結果的に、ものすごく良くなった。5万円強のお金がかかったけれども、それを払うだけの価値はあったと思う。リペアマン本人も「新品と同じか、それ以上に良くなったはず」といっていたが、それは嘘ではないと思った。

 感覚としては、まず息の効率がよくなった気がする。入れた息が音になる割合が2割増しくらいになった感じ。2割増しは言いすぎかも…でも、より音が濃くなったというか、スカスカじゃなくなったというか、そういう感覚はある。

 また、発音のレスポンスが良く、かつ正確になった。オーバーホール前にはなんとなく裏返りやすかった音が、裏返らなくなり、発音しづらかった音が、発音しやすくなった。なんだこれは、と思った。自分のせいじゃなかったのか、とも思った。(ただし、同じ悩みを先生にぶつけたところ、先生が自分の楽器を吹くとその問題は発生しなかったので、やはり腕も関係してくる。)音色そのものの改善はない…それはやはり奏者に依存するからだろう、当然だと思う、だが、音の密度というか、凝縮感みたいなものは、1割増しくらいになった気がする。

 

 というわけで、初めてのオーバーホールは大成功だった。今回はB管のみだったが、A管もぜひやってもらいたいと思う。

問題は、演奏する機会がいま激減していることです。

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retrospective研修医生活

私は現在後期研修1年目。専門科に入って1ヶ月と少しというところですが、自分の研修医時代を振り返って、こうすればよかったとか、これが足りていなかったと思うことは少なくない。もしかしたら、誰かの役に立つかもしれないので、そういった思いを列挙してみることにする。

 

  • 主治医の責任

3年目になって思うのは、やはり同じ「主治医」でも研修医と3年目とでは重みが違うということ。これは、研修医時代の自分の意識の低さによるところもあると思う。指導医たちの意識が、研修医に対するのと3年目に対するのとでは異なっているのも、あると思う。現在の初期研修システムではやはり、初期研修医はダブルチェックの対象というか、守られている(裏を返せば信用されていないとも)と思う。一生懸命やっている人であっても、システム的に、そうなっている。それは良いことです(研修医に全責任を負わせる研修機関は好ましくない)。ただ、研修する側は、守られていることを意識しつつ、過度には意識せず、責任を自覚すべきですね。

 

  • わからないことを訊くなら研修医のうち

これは有名な話。なんでもかんでもわかんなーい、では研修医としてもダメですが、たとえばある科では常識だが他の科では常識でないことを、素朴に質問できるのは研修医の特権かもしれない。自分の場合、2年目はけっこう訊かずに過ごしていたなと思う(わかることが増えて聞く必要がなくなったのもあるが、2年目にもなってこれを訊くのか?と思って訊かないことも少なくなかった)。2年目は、1年目からみたら「経験を積んだひと」にみえるかもしれないが、3年目からみるとやはり「研修医」でしかない。2年目後半になっても、やはりわからないことを(最低限自分で調べた上で)訊くのは大事なことだ。そしてそれは、3年目以降もおそらくかわらない(年数が上がると、蓄積されているべき知識も情報の検索能力も上昇が見込まれるので、訊きづらくなるのは確か)。

 

  • 進む科が決まっているのなら、さっさと勉強してしまおう

これも当然ではあるのですが、どうせやるなら、早い方がいい。ガイドラインなどの書籍も充実しているので、いくらでも方法はある。研修医は初めてづくしで、目の前のローテ科の勉強に追われがちではありますが、3年目以降への助走として、その科の基本的な知識(基本的な薬の使い方や検査所見の解釈、疾患や病態の知識など)は積み重ねて損はない。

 自分もそう考えて少しずつ本を読んでいたつもりでしたが、残念ながら現場志向の勉強にはなっていなかったな…と思います。

 

 

 

 

2016年に買った録音の振り返り+α

今年はけっこう衝動的な買い方をした気がする。しかしけっこう良いものが多かった印象でもある。それから、もう10年近く前に買ったCDのなかによいものを再発見したことも何回かあった。

沢山あって全部は書けないから、今紹介したいものだけ以下に。

 

  1. Nicolas Baldeyrou / Premiere Rhapsody
  2. Trio Cinq Anche / Hommage à Edith Piaf 
  3. Teodor Currentzis & MusicAEterna / Tchaikovsky Violin concerto
  4. Midori / Tchaikovsky Violin concerto
  5. Duo Résonne / Cantabile
  6. Eliahu Inbal & Frankfurt symphony Orchestra / Tchaikovsky Symphony No.6
  7. F. Fricsay & Berlin Philharmonic Orchestra/ Beethoven Symphony No.9
  8. 宇多田ヒカル / fantôme
  9. スピッツ / 醒めない
  10. Herbie Hancock / Speak like a child

 

順不同です。