恋人が亡くなってこの方、それまでの、人や物との接し方を含めたじぶんの作法をいちど紛失し、再びそれを獲得しなおしているような、そういう過程だった気もする。
そのなかには、失くす前の作法と変わらない部分もあれば、あたらしいやり方を覚えた部分もあるし、より狭量になってしまった分野もあるかもしれない。
そもそも「悲しい」という気持ちは、大切なひとを失ってはじめてわかるものだと… 今までの自分は「悲しい」を知らなかったとさえおもう。
そんな具合に、感情やら何やらにラベルを貼り直したり場合によっては新たなラベルをつくったりしてきた1年だった。
生きながらにして生まれなおしている、と言ったらだいぶ大げさだし、ほかの人から見ればどの時点の僕も大して変わらない僕でしかないはずだが、新鮮な感覚を味わったことはたしかだ。
そうしているうちにわかってくるじぶんの性質が幾つもあるし、それはたいていみっともないものとして気づかされる。
たとえばそれは模様替えの仕方にしてもだ。
向き合いづらいものであっても、そもそもそれがじぶん、と認識できるようなsettingは、このさきそんなに無いかもしれないと思った。