夜ふかし録

夜がふかまると目が冴えてくる

精神年齢?

近くに

自分は精神年齢が低いから、ブラームスの音楽にはついていけないや〜

と言ってる人がいます。そうか。と思いました。でも、本当に「そうか?」

何も関係のない成巽閣の壁



たとえば彼にはドヴォルザークチャイコフスキーの音楽にはついていける、うまく演奏できる、のでしょうか?マーラーは?モーツァルトは余裕?

彼の答えがイエスだとしたら、それはドヴォルザークチャイコフスキーに失礼なのではないか。そもそも精神年齢で測るべき何があるのだろう?

仮に色々な作曲家を、精神年齢という尺度で測って数直線的に配置するとしても(書いていてナンセンスだなぁと思いつつ)ブラームスはそんなに(特別に)精神年齢が高いとは…僕には思えません。(これはブラームスdisではないですよ?)
というのも、ブラームスのロマンティックな音楽には涸れとか諦念と形容される要素がエッセンスとして入っていると思うのですが、それは人が生きていくとき多かれ少なかれ感じるだろう、得も言われぬ(切なさを伴う)感興の延長にあるものだと思うから。
それは精神年齢と関係がないわけではない。精神的にどのような体験をしてきたかがその音楽に対する共感を形成するのだから。
 それで冒頭の発言に戻るのだけど、チャイコフスキードヴォルザークの音楽にだってブラームスと同じような深み(それを深みと呼ぶのなら)は絶対にあると思う。
ブラームスはわかんないけど、チャイコフスキードヴォルザークはワカル!」と無反省に言い切るとき、その人のチャイコフスキー(またはドヴォルザーク)演奏からは絶対に重要ななにかがこぼれ落ちているはずだ。

なんてことを思った。


ついでに…
ブラームス、僕にとって好きな作曲家のひとり。
この人の音楽はすごく一人よがりなのではないかな、と思う。
ブラームスに限らずロマン派の音楽一般に言えることかもしれないし、そもそも主観を拡大させていったのがロマン派なのだから当然なのかもしれないけど、その中でも特に「我」を感じる。(それについてはまた改めて書くことにしよう)