夜ふかし録

クラリネットの条件検討

Mahler 3

マーラーとの出会いは中学生の頃、バーンスタインニューヨーク・フィルの録音だった。大学1年の時には交響曲第1番の4thクラリネットを受け持って、ソロを吹かせてもらったりした。極彩色の管弦楽で、箱庭(といっても、巨大な箱庭だが)を思わせる作風のインパクトはとても大きくて、吹奏楽の10分程度の「大作」しか演奏経験がなかった自分には、消化できたものではなかった。

 

12月11日は代々木のNHKホールでマーラー交響曲3番を聴いた。マーラーの作品はどれも長いけれどそのなかでも最長の作品(100分くらいある)で、聴き通すのも大変で演奏する方はもっと大変だろうと思う。N響は見事に演奏していたし、指揮者デュトワも悪くなかった。

 さいきんは首都圏を中心にマーラーブームになっていて、ついこのあいだも東京交響楽団が3番をやっていたし、都響はインバルとともにマーラーサイクルを2回もやって、全集も出している。演奏の質も高い。3番はシノーポリ都響の演奏を何度か聴いたけれど、どちらかというと1楽章の男性的なイメージが強く残っていたのだが、実演を聴くとイメージが変わった。(こういうのが大切で、実演を聴きたい理由のひとつ)

 確かに1楽章は勇壮な始まり方をするし、行進曲風の性格も何度か登場し、しかも長い。実演を聴いた印象では、そういった交響曲の中での男性的な要素は1楽章に凝縮されて、それ以外の要素について2〜6楽章でじっくりと述べられているかのうようだった。特に6楽章のアプローチは、インバルの非常にはっきりとアーティキュレーションをつけるやり方とは違って、legatoな演奏だったと思う。女性的と言ってもいいかもしれない。マーラーには(他の作曲家だってそうだけど)女性的な要素があって、その要素に対してソリッドに造形を試みると、けっこう疲れてしまうのではないか。デュトワのやり方はとても似つかわしく、この3番という曲の性格を引き出してくれた気がする。

 

それから、トロンボーンについて。トロンボーンには1楽章に長いソロがあって、そこでは主に低音域を歌うため、男性的で、粗野で、少し不穏なものの予兆を孕む感じだ。6楽章で再び現れるソロでは、やや高めの音域を歌う。たまたまモーツァルトのレクイエムを聴いていたせいもあって、その曲の"Tuba mirum"を思い出した。「奇しきラッパの響き」。モツレクではアルトトロンボーンだけれども。同じ楽器のソロだけど、長大な曲の最初と最後で、全く別の役割を演じている。つながりを考えずにはいられない。ひとつ仕掛けを見つけた気がしたのだった。