夜ふかし録

クラリネットの条件検討

街を巡りながら

次なる本拠地は都内ですが、実家からは少し離れて、行動圏も今までのものとは変わりそう。

ある程度勝手を掴んでおきたいので、買い物ついでに、行動圏に入る(かもしれない)いくつかの街を探索。その成果はまた改めて記したいと思いますが、ぶらぶらしながらいくつか頭に思い浮かんだことをメモしておきます。

 

向き不向き

向き不向きもあるし、ゲーム風に言えば「能力値の割り振り」みたいなものは人によってありますよね。攻撃力/防御力/特攻/特防/素早さ/賢さ…みたいに。まんべんなく平均的な人もいれば、ひとつの項目がずば抜けている人もいて、たまにまんべんなく高い人もいる。

人と比べてしまうとつらくなるものでもありますが、まずは自分の「割り振り」がいまどうなっていて、本当は(理想的には)どうありたいかを知ること、が第一歩だと思いますし、それを知った上で何ができて何が苦手かを知ることも、生きていく上で大切だと思います。

もちろん凹んでいる能力を伸ばすことも大切な気構えだと思いますが、可能なら凹んでいる能力のところでの勝負を避ける、というのも生存競争としては立派な戦略のひとつですよね。

社会の作法

…というと、おおげさですが。

社会経験が乏しいながらに考えてみると、基本的に社会はナメられたら損です。(ナメられることを逆手にとって自らに有利な状況をつくることに長けた人もいるのでしょうが、例外的だと思うので)

ナメられる、ということは弱点をつかまれるようなもので、そうでないとナメる方もナメるだけの根拠が無いですね。

ナメるということは相手を軽んじて見るということなので、ナメる方も相手をナメた瞬間にリスクを負うわけです。そのリスクがほとんどないと判断されると、ナメられるのかもしれません。

 

前述の「能力の割り振り」に関して、多くの項目に関して平均以上の能力を発揮できる人は、ナメられにくい。ナメられるといろいろな面倒事のもとになるので、ナメられたくなかったら、社会でよく評価に使われる物事の多くで平均くらいを維持するとよいのかもしれない ―と思いました。

 

もちろん、ナメるかどうかの基準は人によって違いますし、より手強い相手ほどその基準は注意深いものになるでしょう。また評価につかわれる項目(そんなものが明示的にあるわけでもありませんが)は、ギョーカイやコミュニティによって全く変わります。(典型的なチェックシャツにぼさぼさ頭では合コンだとナメられそうですが、理系のキャンパスではそんなもので人を判断しない…かもしれません。)

 

ま、こんなのはよしなしごとですが。