夜ふかし録

クラリネットの条件検討

雨降り・外食続き・演劇がみたい

日曜の夜から降り続いている。陽が差すのは日に何十分という単位だろうという日がこの5日ほど続いている。金沢の冬は毎年こんなものだとわかっていることだが、わかっていてもオヒサマを拝みたいという気持ちは募るばかりだ。

そろそろ雪が降ってもおかしくないので、車のタイヤを履き換え、晴れ間を狙って(というか、祈って)お墓参りにいった。奇跡的に晴れてくれてほっとした。お墓はただでさえ明るい雰囲気ではないし、雨風が防げないので助かった。

 

雨続きだが外食続きでもある。今週はそんなに頻繁に食事を一緒にするわけではない人との外食が多い。話すと意外な一面が見えたりするよね。比較的落ち着いて過ごしている週でもある。

 

半沢直樹堺雅人がブレイクしているが自分もそれなりに興味をそそられて、「文・堺雅人」というエッセーを読んだ。

ちょうど10月のレッスンでも、一人芝居をする役者の工夫にまつわるお話があり、にわかに役者やお芝居に対する興味が湧いてきた。(一人二役で急に役を変えるときには、台詞を話し始めるまえに表情や振る舞いを準備しておくという話なのですが…それは置いておきましょう)

役を、つまり自身とは全く別の人間を演じるというのは変身のようで、それ(演技)をする前後で演者自身も少しだけ変わるのだろう。興味深いし、逆に、生活のなかの気づかない(気付かなかった)演技を自覚することもできそうだ。それに、音楽の演奏というのも演技と共通するものは確実にある。レッスンでのエピソードを引くまでもなく、他人の書いた曲を演奏するということはきっと演技だろう。字面でも「奏」というのは「技」の下位互換だ。

役者は自分の演技に自覚的だと思う。自分の振る舞いに自覚的であることはとても大切なことで、基本的なことだ。自覚的でない動作は不用意な動作になりやすい。外科医の手技、内科医の問診や病歴聴取、音楽家の演奏、そういったプロの技のクオリティを分けるのは、いかに微細なレベルまで自覚的になれるかということだと思う。

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女性のお化粧に代表されるように、ある狙いをもって行われることは全てその類だと思う。

一度くらい、プロの役者のナマの演技を見てみたい。