夜ふかし録

クラリネットの条件検討

Inception、鷲田清一、初夏の休講

(1)Inception
インセプションは2010年の映画で、映画館でも観たんだけどちょくちょく見返している。
突っ込みどころもないわけではないし、注意深くみているとあれ?と思う瞬間もあるけど、自分にとってはそんなのどうでもいいな、と思える映画。
「作戦」の目的と別に、主人公コブ(レオ様です)の個人的な問題解決のお話にもなっている、というのは格別珍しい話の作りではないけれど、なぜか好感が持てる。
ディテールも心憎い演出が散見されます。新幹線500系が出てきたり、文房具がステッドラーだったり。仲間集めのシーンはオーシャンズ11っぽくもありますね。説明的な段落のひとつひとつはかなり切り詰められているようにも思えました。全体的に清潔で都会的で品があるのはノーラン作品の特徴でしょうか。
個人的には、亡き妻モルの亡霊との別れのシーンに心打たれました。
そのせりふがでてくるに至る葛藤も描いて欲しかったけど、それは望み過ぎかな。


(2)鷲田清一「<じぶん>この不思議な存在」
哲学者の書いた新書。
たぶん本業で書く文章というのはもっと堅い文体なのでしょうが、(たぶん)新書ということで冗談ややわらかい例えも交えて、シンプルな問いに気取らずに切り込んでいる。
これはもっとはやく高校生くらいで読みたかったなぁ。でも、それなりの経験を積んだからこそ自分に取り込めているという側面もあるのでしょう。若いうちにたくさんの(種類の)悩み事を持ったほうがいいのかもしれない。

ところでこういった哲学系の話題というのは、なにかヒントや見地を与えてくれることはあるけど、具体的な解決策をもたらしてくれるものではないですよね。
精神科診療において精神病理学が根本的な解決をもたらさなかったことと似ているように思えます。(もちろん、だから哲学や精神病理が意味のないことだとは思いませんし、実際そうではありません)
どのみち解決策をもたらすものではないにもかかわらず、哲学にも優れた哲学とうさんくさい哲学があるのはどうしてだろう?
そして読者が哲学の本に感じる知性や胡散臭さというのはどこから生じて来るのだろう?
少し不思議です。
(僕は、読み手ではなくて筆者自身が自身の書いていることをわかっているか否か、が大きなポイントなのではないかと思っています)

(3)六月
四月は肌寒く、五月はなかなか安定しなかったように思うけど六月はしっかりと蒸し暑いしなにより夕焼けが季節っぽい。
自転車でバイト先やら何やらに駆け巡った三年前や四年前の夏ばかり思い出してしまう。歳だ…(=_=)