夜ふかし録

クラリネットの条件検討

モーツァルト

11月のある本番で、モーツァルトクラリネット五重奏を演奏する予定です。
こいつは大変です。なぜならクラリネットにとって聖典みたいな曲だから(迫真)

一緒にやろうと言ってくれた仲間たちのためにも、お客さんにも演奏する側にとっても「よかった」と思える演奏にしたい。

この曲はとても切ない曲です。
あからさまに激しい感情を表に出すことはほとんどないけれど、随所に翳りが宿っていて、それをさりげなく、しかし決定的に聴かせる曲です。

人生は不条理な出来事が起こるものです。
不条理は裏切りといってもいい。裏切りは予定調和の対義語です。



カミュによると、不条理に対する仕方は三通り。すなわち
(1)自殺
(2)哲学的自殺=盲信
(3)不条理の受容
の3つ。

モーツァルトの描いた翳りの正体はこの(3)の一側面のように思えます。
不条理を受容することと諦めることは似ているかもしれません。
でも全く同じとは思いません。
全てを諦めてしまったらそれは生きていると言えるでしょうか。
不条理を知ったうえでも虚無感に負けずに生きていく、まさにシーシュポスの生き方が不条理の受容です。


…とかなんとか思っていますが、実際的にそんなフクザツなことを表現しようとするのは無謀なので、できることからコツコツと、手の届く範囲で行けるところまで行きたい。

うう、緊張する〜