夜ふかし録

クラリネットの条件検討

心のリハビリ(7)―転地療養の成果

2012年7月に経験した死別から4年が経とうとしている。

 

死別直後、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月、1年、…

というふうに、自分の心は居住まいを変えてきた。その記録は自分の日記や、このブログの「心のリハビリ」と題したシリーズに残っている。これまででもっとも大きな変化は、一周忌を過ぎた時にふっと一段、軽くなったようなかんじがあって、それからは日常生活が随分楽になったように思う。逆に、死別直後の1年は1日を過ごすことが信じられないほどつらく、思い返しても痛ましい日々だった。自分の部屋、車で通る道、道路標識、喫茶店、服屋、、、 そういった、生前の記憶が少しでも想起されるようなものがその都度私の心をかき乱し、そのたびに凄まじい感情の嵐に耐えなければならなかった。

 

昨年4月に就職し、それを機に大学生活を過ごした北陸を離れて地元である関東地方に戻った。関東には、彼女との思い出はほとんどない。せいぜい、彼女と電話しているときに歩いていた道の記憶くらいで、北陸の街ほど直接的ではない。

そういう土地にずっと過ごすことの威力というのか、それまでの3年とは比べ物にならないくらい、私は「もと」に戻ったと自覚している。(ただし、もとに戻るはずはない。胸にあいた穴は塞がらない。だが、日常生活の中で悩まされることが少なくなったという意味では、死別以前と同じくらいといってよいだろう)

転地療養は効く。

今の自分からみれば、北陸に住んでいた頃の自分は(前述した一周忌以降も)もう悲嘆一色といってよくて、よくそんな精神状態で日常生活を過ごしたものだと思う。

 

死別後のつらい1年間は、経験せずに済むのであれば経験したくなかったが、自分の心とか自分自身の対人的な構えについて考える上では、死別を経なければわからなかったことを沢山知ることができたといえる。

自分にとっての彼女とは、「彼女」とは?彼女でなければ困ることとは?などなど、色々なことを考えた。また、死別後の辛さとどうやって向き合えばいいのか、残された人に訪れる変化とは… といったことにも、主に書物を通して学んだ。

 

死別後4年を経て、ずいぶん自分は「へいき」になったと思うが、それだけに、忘れてはいけないことを今一度温めなおそうと思う。

携帯電話

下書きをみていたら2018年のものと思われる日記をみつけた。たった4年前だけどすでにタイムラグを強く感じたのでそのまま公開してみる

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iPhone6s

 
 
5cが故障し(通信速度が異常に遅くなり、そのせいか時刻が合わなくなって使いものにならなくなった)、その代役としてもはや4年前の端末となった4Sに働いてもらっていたのですが、これもスリープボタンが壊れてしまい…買ってしまいました。
 
4Sを2ヶ月近く使ってからの6sなので、デカイ、速い、そして…違う!(iOS6から9だし)
4Sのサイズは完成形といっていいくらい、しっくりくるものでした。長らくありがとう
6sのお気に入りポイントは画面のフチのゆるやかな丸みです。つるっとしていて気持ちいいし光沢がうれしいですね。INFOBAR2を思い出す感じです。
ここ3ヶ月くらい壊れたケータイで過ごしてきたので、壊れてないってだけで快適。これでeGFRの計算がまたできる!!(爆)

デュリュフレ

東京・春・音楽祭の最終公演を東京文化会館で聴いてきました。(余談ですが、ほぼベッドフリーの科をローテート中なので、こういったことが可能です。やはり、休日であっても呼ばれる可能性がある科では、ゆっくり演奏会を聴きにいったとしても、どこかで後ろ髪ひかれるような思いが残ってしまう…)

演目はRVW 「トマス・タリスの主題による幻想曲」、「5つの神秘的な歌」、そしてデュリュフレ「レクイエム」。
どれも初めて聴く曲で不安もありましたが、バリトンをはじめ好演であり、楽しめました。

「トマス・タリス」はおそらく構造を把握できればもっと楽しめたのだろうと思います。幻想曲だけあって、断片的だったりまとまりが緩かったり、少しつかみどころのない曲でした。要素についても、旋法についても知識が足りない…

「5つの神秘的な歌」はレクイエムと1曲めとを連絡する役割を担っていたのですが、けっこう起伏と色彩に富んで、主役のバリトンも確信的な演奏でした。第2曲の最後のハーモニーの、やわらかいあざやかさ。
原語が聴き取れたらもっと感動が深かったのだろう…

そしてデュリュフレ
パンフレットには20世紀最高のレクイエム、と謳われていました。それが本当かどうかはともかく、たしかにこれはもっと取り上げられていい作品かもしれない。耳に残るきれいなメロディが多い、というかんじではなかったのですが、モーツァルトのレクイエムのようなどこから響いてくるのかわからない響きもあり、また、20世紀の作品ではあるものの現代音楽的なものすごい前衛さみたいなものはあまりなく(分析すれば、おそらく20世紀なかごろまでの成果は活かされているのでしょうが)、レクイエムの伝統をひきついでいるなと感じました。
都響も独唱も、東京オペラシンガーズもすばらしい仕事だったと思います。


ただ、いずれの曲も、おそらく背景を知ればより深いところからのsympathyを感じるであろう曲であり、その点もったいないことをしたなと思いました。


煙に巻く作風

3月最後の週は、仕事をはやく終わらせて演奏会へ。

東京都交響楽団/インバル  ショスタコーヴィチ交響曲第15番

この組み合わせのショスタコーヴィチ演奏に出会ったのは2012年3月の4番で、自分にとっては都響との最初の出会いでもありました。東京文化会館の飾り気のない残響も合わせて、すっかり虜になった記憶がある。2012年3月は、金沢でもOEK/井上道義ショスタコーヴィチ14番を演奏していて、これも、ドギツい曲の凄みのある演奏だった。
 
ショスタコーヴィチは人を煙に巻くのが好きな作曲家、というイメージがあります。あまりストレートに言いたいことを言わなかったり、それどころかウソの笑顔とかウソの泣き顔も駆使して、あたかも聴く側に本意を悟られまいとするようです。
この15番もずいぶん謎めいた曲で、CDで聞いてもあんまりピンときません。
ライヴの威力というのは凄くて、わからないなりにその世界に浸ることができます。
少し時間が経ってしまったのでイメージが遠くなってしまったのですが、2,3楽章は随分独特の世界になっていた記憶があります。
インバルと都響の演奏はデフォルメかと思うくらい、輪郭をくっきりさせることで官能的(eroticという意味ではなく、functionalという意味で)楽しみを引き出す演奏だと思います。マーラーでもショスタコーヴィチでも、チャイコフスキーでも…
その効果もあがっていましたが、この曲はそれだけですんなりと一筆書きになるような作品ではない。そうも思えました。
今回は1回きりの演奏会だったため、もし2回公演であればより完成度が上がっていたかも…とも思いました。
 

 ストラヴィンスキー室内楽/都響メンバー

更に翌日は小ホールでストラヴィンスキー

都響首席たちによるとても濃密な演奏会でした。

個人的にもっとも聴きたかったクラリネットのための3つの小品、三界さんのくっきりした音色と丁寧なつくりの演奏でしっかり心に刻みました。即興性のある作品という紹介がよくされますが、楽句の踊り食いみたいな曲だなぁという印象で、まるで気まぐれのようにも聴こえるフレーズたちですが面白く聴けました。

また、四方さんの演奏による「妖精の口づけ」による組曲は意外と聴きやすい曲でした。これは大学の頃にモデルオケ側として参加した、井上道義さんの指揮者講習会で題材になっていた曲も入っていました。

ほかにもスリマ・ストラヴィンスキーによる作品や武満など、濃ゆい2時間強を過しました。

 

 

久しぶりに真面目に楽器を吹いた

2016年に入ってからは勤務のスケジュールの都合もあって全く楽器を吹けていませんでしたが、2/13,20,21と、練習できるだけの余裕があったので、それぞれ1〜2時間程度リハビリしてみました。

  • マニュアルづくり
今思えば、2014〜2015年に自分が行っていた作業(そのときの自分の奏法をできるだけ文字で表現し残す)は、クラリネット演奏のマニュアルづくりそのもの。マニュアルといえば、本業の方でもマニュアルとは切っても切れない関係にあります。そこでよく言われるのは、マニュアルは「作るときに最も勉強になる」ということです。
  マニュアルをつくるときには、日頃自分が意識/無意識にやっていることを、できるだけ言葉にする=意識の領域に引っ張り出す努力をする。それがマニュアルづくりのために必要だからです。その作業こそが、自分の方法を客観的に観察することであり、そのためにあいまいさや不確かさ、再現性のなさを切り詰めることが可能になる…という、そういう意味です。

2016年、予想通りに、楽器に触れる時間はずいぶん短くなりましたが、予想していたほど忘れるペースは速くないと、自分では思っています。これも、マニュアルがあるからというより、マニュアルづくりを経たから、なのかなと、思う土日なのでした。


失せもの出にくし/一寸先は闇

  • ボールペン(など)を失くした
定位置に置いたはずなのに、研修が始まってから愛用していたボールペンを失くしてしまった。同じ日に、貰い物の耳あてもなくしている。自己管理が不行き届きだってことに加えて、失くしたことそのものにも少なからずテンションが下がる…  だらしないのはよくない。


  • 一寸先は闇
研修病院の人事で驚愕の異動があった。運営する者がいったい何を考えているのか、ちょっとよくわからない人事…  きっと筋書きがあるに違いないと思うのだけど…